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大阪高等裁判所 平成元年(う)1078号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中六〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人江頭幸人及び被告人本人作成の各控訴趣意書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一弁護人の控訴趣意第一及び被告人の控訴趣意(事実誤認の主張)について

論旨は、いずれも原判決の事実誤認を主張し、原判決は、被告人が原判示第二の日時、場所において覚せい剤を自己の身体に注射して使用した旨認定しているが、被告人はそのような覚せい剤の使用をしていない(あるいは、していないとの疑いを入れる余地がある)から、右事実については被告人を無罪とすべきである、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討するに、原判決挙示の関係証拠によると、原判示第二の事実は、これを肯認することができ、原判決が(事実認定の補足説明)の項において説示するところも、概ねこれを是認することができる。所論にかんがみ若干説明する。

一  まず、論旨に対する判断に必要な限度で、原判決の認定事実及びその挙示する証拠を若干の説明を付加しつつ示すと、次のとおりである。

1  原判示罪となるべき事実

被告人は、法定の除外事由がないのに、

第一  昭和六三年一二月二六日午後八時ころ、堺市内の「ホテル甲野」四〇三号室において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤約〇・一グラム〔を溶かした水溶液〕を自己の右腕に注射し、もって覚せい剤を使用し

第二  昭和六四年一月三日ころの午後七時過ぎころ、神戸市内の「ハイツ乙山」二〇一号室において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤約〇・〇五グラムを溶かした水溶液〔約〇・四CC〕から約〇・二CCを自己の右腕に注射し、もって覚せい剤を使用し、

第三  (覚せい剤約〇・〇三二九グラムの所持……省略)

たものである。

但し、右の〔 〕内の部分は、後記2の被告人の供述調書により、これを補った。なお、第一事実及び第三事実は、争いがなく、問題は第二の覚せい剤使用の事実の存否のみである。

2 原判決挙示の主たる証拠(第三事実を除く)

(一)  第一事実につき、

被告人の司法警察員に対する平成元年一月三一日付、同年二月九日付、同月二二日付各供述調書。滋賀県警察本部刑事部鑑識課長作成の昭和六四年一月五日付検査結果回答書(検査者福嶋弘幸。昭和六三年一二月二七日被告人から採取した尿を検査した結果を記載したもの。以下、この書面を「第一回答書」といい、右検査を「第一回検査」という)。

(二)  第二事実につき、

被告人の司法警察員に対する平成元年二月一日付、同月四日付、同月二四日付各供述調書。滋賀県警察本部刑事部鑑識課長作成の平成元年一月三一日付検査結果回答書(検査者福嶋弘幸。昭和六四年一月六日被告人から採取した尿を検査した結果を記載したもの。以下、この書面を「第二回答書」といい、右検査を「第二回検査」という)、証人福嶋弘幸の原審公判廷における供述。

3 一般に、人体内に摂取された覚せい剤は、その後二週間近くまで尿中に排泄されることがあるとされているので、被告人が昭和六三年一二月二六日に体内に摂取した覚せい剤の一部が、その一一日後である昭和六四年一月六日に被告人が排出した尿から検出されるということもありえなくはない。しかるに、本件においては、第一回答書と第二回答書の比較検討により、被告人が覚せい剤を複数回体内に摂取したことが推定されるとされ、このことが第二事実に沿う被告人の自白を補強し、裏付けているとされている。

二 所論は、①第二回検査で被告人の尿から覚せい剤が検出されたのは、被告人が昭和六三年一二月二六日四回にわたり覚せい剤各約〇・一グラムを注射し、合計約〇・四グラムという多量の覚せい剤を使用し(第一事実はそのうちの一回分である)、その後排尿の回数とその量が極端に少なかったために、右使用にかかる覚せい剤が残存していたことによるものであって、この検査結果を第二事実を認定する資料とすることには疑問がある、②第二事実についての被告人の自白は、警察官が第二回答書を基に誘導したため、やむなくなされた疑いがあり、その信用性は乏しい、旨主張する。

三 所論①について

1  昭和五三年から滋賀県警察本部刑事部鑑識課科学研究室化学課に勤務し、尿中の覚せい剤の検査等に携わり、被告人の尿を検査した福嶋弘幸は、原審及び当審証人として、第一回検査及び第二回検査等につき、おおよそ次のとおり説明している。

「(イ) 一般に、人が覚せい剤を使用した場合、その後二日目くらいまでにその大部分が尿等から体外に排泄され、尿中の覚せい剤の量は、多量の覚せい剤を使用する常習者でも使用後四、五日目くらいから極端に落ち始めるとされている。本件でも用いられたガスクロマトグラフ質量分析法では、トータルイオンクロマトグラフ(曲線)により覚せい剤の大体の濃度を知ることができるが、覚せい剤を使用した同一人物から経日的に連続して採取した尿を検査すると、濃度を示す曲線のピーク(山の高さ)は、三、四日目くらいに採取したものから極端に落ち始め、七日目ないし一〇日目の尿では、よほどの常習者でもなければそのピークが見られない。人間の体はかなり代謝するので、常習者であっても、使用の一〇日後に、使用直後と同じ分量の覚せい剤が体内に残存しているということは考えられない。

(ロ) 第一回答書は、昭和六三年一二月二七日被告人から採取した尿を検査した結果を記載したものであり、第二回答書は、昭和六四年一月六日被告人から採取した尿を検査した結果を記載したものであるが、この両回答書における覚せい剤の濃度を示すピークは、いずれも極めて顕著であって、これ以上高くならないくらいに高く、覚せい剤使用後新しい段階で採取された尿であること、すなわち、初めて使用した者であれば一、二日目、常習者であっても三、四日目以内に採取された尿であることを示している(双方の尿中の覚せい剤の濃度はほぼ同じである)。

したがって、一度目の採尿と二度目の採尿の間(より精密にいえば二度目の採尿に先立つこと三、四日以内)に、被告人の体内に新たに覚せい剤が摂取されたと推定するほかない。」

なお、右(ロ)に関し、更に次のような説明も付加されている。

「(a) 通常この種の検査においては、定量検査は行なっておらず、本件の検査においてもこの点は同様であるが、本件の被告人の尿中の覚せい剤の量(濃度)を、他の機会に行なった定量検査の結果等に基づいて計算してみると、尿一ミリリットル中につき覚せい剤(メタンフェタミン、MAP)一〇ないし一五マイクログラム位になる。そして、尿一ミリリットル中につきMAPが一〇マイクログラム以上検出されたときは、経験則上採尿時より大体三日以内に覚せい剤を使用したものと推認される。(b) 本件の二回の検査においては、同じ測定機器等を使用し、その感度・性能も同一にし、同じ設定条件で検査した。但し、第一回検査で用いた尿の量は約七〇ミリリットルであり、第二回検査のそれは約一一〇ミリリットルであるところ(いずれも検査依頼にかかる尿の全量を用いたものである)、本件で用いた検査法では、同じ量の溶媒に尿全部から抽出した覚せい剤成分を溶かしたものの一定量につきガスクロマトグラフ質量分析を行なっているので(通例このような検査法によっている)、尿の量の違いは、濃度を示す曲線のピークに影響を及ぼすが(当然のことながら、尿中の覚せい剤の量は尿量に比例するので、尿量が多いほどピークは高くなる)、この程度の尿量の差は、(ロ)の結論との関係では無視してもよいと考える。」

2  右福嶋証言には不自然、不合理な点は見当たらず、それ自体説得力に富むものであるうえ、当審で取り調べた吉良清司外一〇名「覚せい剤の尿中排泄期間について」科学警察研究所報告(法科学編)三三巻四号六三頁(昭和五五年)(最高裁事務総局編・薬物事件執務提要二三三頁以下にも収録)という専門家による研究報告においても、「尿中から一ミリリットルにつき一〇マイクログラム以上のMAPが検出された場合、覚せい剤の使用時期は、採尿時より三日以内と考えてよいと思われる」旨の見解が示されており、福嶋証言が(イ)及び(a)末尾で述べるところは、専門家の間において一般的に支持されうるものといってよいであろう。

したがって、右1に要約した福嶋証言は、これをそのとおり信用することができるのであって、これと第一回答書及び第二回答書を総合すると、よほど特殊な事情が認められない限り、昭和六三年一二月二七日の採尿と昭和六四年一月六日の採尿の間(より精密にいえば右一月六日に先立つこと三、四日以内すなわち一月二日以後六日までの間)に、被告人の体内に新たに覚せい剤が摂取されたと推定するほかないのである。

3  ところで、被告人は、前記一2(一)の各供述調書から当審公判廷におけるまで一貫して、所論指摘のとおり、昭和六三年一二月二六日四回にわたり覚せい剤各約〇・一グラムを注射した旨供述しており、そうだとすると、合計約〇・四グラムという多量の覚せい剤を使用したことになるが、他方、被告人は、原審及び当審公判廷において、同年八月ころから右一二月二六日までは全く覚せい剤を使用していないと述べている。また、被告人は、原審及び当審公判廷において、右一二月二六日の使用後昭和六四年一月六日の採尿までの間、殆ど食事をとらずジュース類を少量飲んだだけであり、排尿は一日一回で、その量もごく少量であった旨、所論に沿う供述をしている。

しかし、被告人の右排尿状況に関する供述は、経験則上そのとおり信用することはできないし、前記福嶋証言に照らすと、被告人の右一二月二六日の使用に関する供述を前提にしたうえ、その後の排尿回数及び量が比較的少なかったと仮定しても、右一二月二六日に摂取した覚せい剤が、その一一日後の右一月六日まで、尿中のMAP濃度が摂取直後とほぼ同じになるほど大量に体内に残存していたとは到底考えられないのであって、右2末尾の推定は動かないといってよいと思われる。所論は採用できない。

四 所論②について

被告人は、原審及び当審公判廷において、警察官から「二回目の採尿の三、四日前に覚せい剤を注射した反応が出ている、認めよ」などと言われ、第二事実に沿う自白をしたが、第一事実にある一二月二六日以後覚せい剤を使用したことは一度もない旨供述している。しかし、前記一2(二)の各供述調書中における被告人の自白は、覚せい剤を使用した場所やその際用いた注射器を隠匿した場所についての供述をも含むかなり詳細なものであり、関係証拠によると、その供述にかかる使用場所は実在し、その供述にかかる隠匿場所から注射器が発見され、しかもその注射器に覚せい剤が付着していたことが認められるのであり、その他、自白内容を検討しても、不自然、不合理な点は見当たらず、前記福嶋証言等から推定されるところともよく符合している。他方、被告人の公判供述は、右注射器に覚せい剤が付着していた事実につき合理的な説明ができないなど、虚偽の自白をした理由として述べるところに迫真性が欠けるうえ、前記福嶋証言等から推定されるところとも反するのである。したがって、被告人の右自白は、そのとおり信用してよいと思われる。所論は採用できない。

五 以上のとおりであって、原判決に所論のような事実誤認のかどは認められない。論旨はいずれも理由がない。

第二弁護人の控訴趣意第二(量刑不当の主張)について

論旨は、原判決の量刑不当を主張するので、記録を調査し、当審における事実取調べの結果も加えて検討するに、本件は、覚せい剤の自己使用二回及び約〇・〇三グラムの所持の事案であるところ、これら犯行の罪質、態様、動機に加えて、被告人は昭和五九年ころ覚せい剤を使用し始め、昭和六〇年以降覚せい剤取締法違反罪により三回も懲役刑に処せられたにもかかわらず、またもや本件各犯行に及んだものであって、覚せい剤に対する親和性、依存性が顕著であることなどに徴すると、被告人の刑責は軽視できず、被告人は、自ら警察に出頭して本件所持にかかる覚せい剤を提出し、捜査段階では原判示第二事実を含む全事実を素直に認めていたこと、昭和六三年一月前刑により仮出獄してからの稼働状況、その他記録に現われた被告人のために酌むべき一切の事情を考慮に入れても、原判決の刑(懲役一年六月)はやむを得ないところであって、重過ぎるとは考えられない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条、刑法二一条、刑訴法一八一条一項但書により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉田治正 裁判官 一之瀬健 安廣文夫)

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